川瀬巴水が残した大正~昭和の原風景

巴水 失われた原風景を描いた人

 

そろそろと桜も散り始め舞う花びらがまたきれいです。

桜前線は北へと進んでいき、満開の桜に顔を綻ばせるニュース映像は

いつもと違う場所の桜が見られて楽しいものです。

 

今日は大好きな川瀬巴水を。

 

旅情誌人 川瀬巴水 

 

生涯旅をし、各地の風景画を多く残しているいることから

縁のある地では時々巴水展が開かれたり

NHKの日曜美術館で紹介されたことがあるので

ご存じの方もいらっしゃると思います。

 

明治16年5月18日(1883年)現在の新橋5丁目で糸組み物職人の長男として誕生

10代の頃から日本画を学び25才の時、浮世絵師鏑木清方の門をたたくも

20代も半ばという遅いスタートだったことから清方に難色を示され

最初は洋画家の岡田三郎助に学んでいましたが

27才の時、再び清方に入門志願し門人となっています。

 

巴水の画号は2年間の修業の後、清方が命名した号です。

 

版画家・浮世絵師への転向

 

川瀬巴水作品集

表紙になった人気作 馬込の月 現在はもうない。

馬込天祖神社にあった。

 

大正7年(1918年)同門にいた伊東深水の連作木版画近江八景に影響を受けて

版画に取り組み、近江八景の版元渡辺版画店から

栃木県那須塩原を題材に3図を出版、試作だったと言う事ですが

この3図が好評となり本格的に版画に転向し

翌年から次々と版画を制作するようになっています。

 

伊東深水は昨年亡くなった朝丘雪路のお父さんです。

 

版元、渡辺木版画店の主、庄三郎との出会いは

師匠の清方が得意とした美人画に行き詰まりを感じていた

巴水にとって大きな転機となりました。

 

新版画の旗手として

 

 江戸時代に役者絵や美人画の隆盛から

葛飾北斎富嶽三十六景歌川広重東海道五十三次を発表し

浮世絵に名所絵の分野が確立していったのですが

明治期になると

石版や銅板、写真などにとって代わられていました。

 

歌川広重東海道五拾三次は

永谷園のお茶漬けに入っているカードです。

 

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東海道五拾三次 品川を描いた日之出


巴水の版元となった渡辺庄三郎は

衰退していく伝統的な木版画の浮世絵を復興させようと

新版画運動を提唱し

後に巴水を風景画の絵師として迎え

また伊東深水美人画に専念させています。

 

大正10年(1921年)に渡辺庄三郎が出版した新版画展覧会は

110図のうち39図が巴水の作品でした。

この出版で巴水は新版画の分野で地位を確立することになります。

 

増上寺 関東大震災の避難所

 

大正12年(1923年)9月1日、関東大震災が発生。

ちょうどお昼時だったため関東地方に吹き込む強風で

広範囲に火災が発生し甚大な被害をもたらしました。

巴水は震災で家も家財も188冊の写生帳も失ってしまいます。

 

版元の渡辺木版画店も被害を受け

店内にあった版木や完成版画のほとんどを焼失しています。

被災した巴水はしばらくの間、増上寺で避難生活を送りました。

 

震災からの巴水

 

被災直後は大変な傷心だったという巴水ですが

震災後に描いた増上寺は巴水の代表作になります。

 

川瀬巴水木版画集

 

大正12年10月、庄三郎の勧めで100日あまりの写生旅行に出た巴水は

大いに画欲を掻き立てられたようで

次々と作品が発表されていきます。

 

大正14年(1925年)には

伊勢辰を版元とした美人画も描いています。

 

昭和に入ると旅にもよく出かけたようで

浦安を描いた雪の夜、石巻の暮雪、小樽の波止場

尾州半田新川端など

各地のちょっとした風景を多数残しました。

 

高度経済成長、列島改造を経て

今ではもう残っていない当時の日本の日常が

繊細に描かれ現代に生きる者には郷愁を誘います。

 

昭和5年(1930年)に完成した東京二十景にも出てきますが

巴水の雪は静かに降る雪から激しい雪まで様々です。

版木にたわしのようなもので傷をつけたり

摺師の繊細なバレン使いで表現したものです。

また、夕暮れ時や独特の青を使った水の風景を得意としていました。

 

晩年

 

昭和5年に現在の南馬込に洋館づくりの家を建て転居

戦時中は栃木県の那須塩原疎開していましたが

昭和23年(1948年)現在の上池台に戻り晩年を過ごします。

 

昭和27年(1952年)文科省

木版画の技術記録を作り永久保存するとし

無形文化財技術保存記録の作品として認定され

技術保存記録木版画を作成することになりました。

 

翌28年に巴水は増上寺の雪

同門だった伊東深水を完成しています。

 

昭和29年(1954年)

第1回新版画展に昭和31年の第3回まで出品

昭和32年(1957年)2月入院

同年11月27日に胃がんのため74才で亡くなっています。

 

和服に下駄履き利休帽を被り

各地の特別なことは何もない日々の暮らしを

時に名所そっちのけで描いた旅情詩人。

機会があればご覧になって下さい。

 

いつでも川瀬巴水が見られる大田区立郷土博物館

 

大正15年(1926年)に現在の大田区中央に住み始め

疎開した戦時中を除いて晩年まで過ごしたことから

大田区は巴水と縁の深い土地です。

 

大田区立郷土博物館が所蔵する作品も多く

毎月2作品を今月の川瀬巴水と題して季節に合わせた作品を展示しています。

4月は28日まで

桜の描かれた赤坂弁慶橋弁慶橋の春雨です。

 

入館は無料

9:00~17:00  入館は16:00まで

月曜日休館ですが祝日は開いてます。

時々特別展、企画展がありますが料金は都度案内されます。常設展は無料。

バリアフリー化されていて車いすの貸し出しもしてくれます。

都営浅草線 西馬込駅から5~6分

                       

 

羽田空港、六郷用水、海苔養殖に馬込文士村など

大田区の郷土資料や文化財を展示しています。

まだ電化製品が普及する前、明治から昭和30年頃までの

暮らしの道具はちょうど巴水が生きた時代。

数が少ないのが残念ではありますが・・

 

興味のある人は楽しめます。

美術館ではありませんのでご注意を。